Philippians 3 (JTRV)
From Textus Receptus
Nyork3000 (Talk | contribs)
(New page: ピリピ人に贈る使徒パウロの書状 The Epistle of Paul, Apostle to the Philippians 日本語: 1) 新契約聖書 (永井訳) 2) 新改訳 English: Authorized ...)
Next diff →
Revision as of 07:47, 16 November 2011
ピリピ人に贈る使徒パウロの書状 The Epistle of Paul, Apostle to the Philippians
日本語: 1) 新契約聖書 (永井訳) 2) 新改訳
English: Authorized Version (King James Bible)
3章 (verses 16, 3?)
1. 永井訳 その余、我が兄弟よ、主に在りて喜べ。此等の事を汝等に書き贈るは、我にとりて厭(いと)はしからず、 汝等には安全なり。
新改訳 最後に、私の兄弟たち。主にあって喜びなさい。前と同じことを書きますが、これは、私には煩わしいことでななく、あなたがたの安全にもなることです。
Finally, my brethren, rejoice in the Lord. To write the same things to you, to me indeed is not grievous, but for you it is safe.
2. 永井訳 犬を視よ、悪しき働き人を視よ、切り放せる者を視よ。
新改訳 どうか犬に気をつけてください。肉体だけの割礼の者に気をつけてくだ さい。
Beware of dogs, beware of evil workers, beware of the concision
3. 永井訳 そは我等霊をもて神に服事し、またキリストイエスにありて誇り、且つ肉に頼まざる者は割礼あればなり。
新改訳 神の御霊によって礼拝をし、キリスト・イエスを誇り、人間的なものを頼みにしない私たちのほうこそ、割礼の者なのです。
For we are the circumcision, which worship God in the spirit, and rejoice in Christ Jesus, and have no confidence in the flesh.
4. 永井訳 たとひ我は肉に於ても頼を有つと雖も、〔これを頼まず、されど〕別の人もし肉に於て頼むべき〔ところあり〕と思はば、我は勝れり。
新改訳 ただし、私は、人間的なものにおいても頼むところがあります。もし、ほかの人が人間的なものに頼むところがあると思うなら、私は、それ以上です。
Though I might also have confidence in the flesh. If any other man thinketh that he hath whereof he might trust in the flesh, I more:
5. 永井訳 即ち八日目の割礼、イスラエルの子孫の、ベニヤミンの族の、ヘブル人のうちのヘブル人、掟に循へばパリサイの人、
新改訳 私は八日目の割礼を受け、イスラエル民族に属し、ベニヤミンの分かれの者です。きっすいのヘブル人で、律法についてはパリサイ人、
Circumcised the eighth day, of the stock of Israel, of the tribe of Benjamin, an Hebrew of the Hebrews; as touching the law, a Pharisee;
6.
永井訳 熱心に循へば集会を迫害し、掟にあるところの義に循へば缺なき者にな
れり。
新改訳 その熱心は教会を迫害したほどで、律法による義についてならば非難されるところのない者です。
Concerning zeal, persecuting the church; touching the righteousness which is in the law, blameless.
7. 永井訳 されど〔曾て〕我がために得なりしもの、此等のものを、キリストのゆゑに損と思へり。
新改訳 しかし、私にとって得であったようなものをみな、私はキリストのゆえに、損と思うようになりました。
But what things were gain to me, those I counted loss for Christ.
8. 永井訳 加之キリスト我が主なるイエスを知るは、優れたる事なるのゆゑに、我はすべての物を損なりと思ひつつ、彼のゆゑに、すべての物を損せしかど塵芥(ちりあくた)なりと思ふ。是れキリストを得、
新改訳 それどころか、私は主であるキリスト・イエスを知っているこのすばらしさのゆえに、いっさいのことを損と思っています。私はキリストのためにすべてのものを捨てて、それらをちりあくたと思っています。それは、私には、キリストを得、また、
Yea doubtless, and I count all things but loss for the excellency of the knowledge of Christ Jesus my Lord: for whom I have suffered the loss of all things, and do count them but dung, that I may win Christ,
9. 永井訳 且つ掟に本づきての我が義にあらず、されどキリストの信仰によりての〔義〕、即ち信仰にありて神に本づきての義を有ちつつ、彼に見出され、 新改訳 キリストの中にある者と認められ、律法にゆる自分の義デハナクテ、キリストを信じる信仰による義、あうなわち、信仰に基づいて、髪から与えられる義を持つことができる、という望みがあるからです。 And be found in him, not having mine own righteousness, which is of the law, but that which is through the faith of Christ, the righteousness which is of God by faith: 10 永井訳 彼を知り、即ちその死と同じ態(さま)になりて、その甦の力、またその苦の親しき交を〔知り〕、 新改訳 私は、キリストとその復活の力を知り、またキリストの苦しみにあざかることも私って、キリストの死と同じ状態になり、 That I may know him, and the power of his resurrection, and the fellowship of his sufferings, being made conformable unto his death; 11 永井訳 如何にしても、死人の甦にまで達せんためなり。 新改訳 どうにかして、死者の中からの復活に達したいのです。 If by any means I might attain unto the resurrection of the dead. 12 永井訳 〔されど〕われ既に〔これを〕受けたり〔と云ひ〕、或は既に完うせられたりと〔云ふ〕にはあらず、されど捉ふることを得んかと、我は追い求めつつあり、これがために我はキリスト・イエスより捉へ7られたるなり。 新改訳 私は、すでに得たのでもなく、すでに完全なものとされているのでもありません。ただ捕えようとして、追求しているのです。そして、それを得るようにとキリスト・イエスが私を捕えてくださったのです。 Not as though I had already attained, either were already perfect: but I follow after, if that I may apprehend that for which also I am apprehended of Christ Jesus. 13 永井訳 兄弟よ、我は未だ自ら〔これを〕捉へ得たりと勘へず、されど一事、即ち後に在るものを忘れ、前に在るものに 向ひて身を挺(ぬき)んじ、 新改訳 兄弟たちよ。私は、自分はすでに捕えたなどと考えてはいません。ただ、この一事に励んでいます。すなわち、うしろのものを忘れ、ひたむきに前のものに向かって進み、 Brethren, I count not myself to have apprehended: but this one thing I do, forgetting those things which are behind, and reaching forth unto those things which are before, 14 永井訳 我はキリスト・イエスに於て神の〔賜ふ〕、高き召(めし)の褒美(ほうび)のために、目当に循ひて追い求む。 新改訳 キリスト。イエスにおいて上に召してくださる神の栄冠を得るために、目標を目ざして一心に走っているのです。 I press toward the mark for the prize of the high calling of God in Christ Jesus. 15 永井訳 是の故に完き者はみなかく思ふべし。また汝等もし異なる事を念はば、これをも神は汝等に啓示し給ふべし。 新改訳 ですから、成人である者はみな、このような考え方をしましょう。もし、あなたがたがどこかでこれと違った考え方をしているなら、神はそのこともあなたがたに明らかにしてくださいます。 Let us therefore, as many as be perfect, be thus minded: and if in any thing ye be otherwise minded, God shall reveal even this unto you. 16 XXXXXX 永井訳 されど我等は到りしところにて、同じ典(のり)をもて歩み、思ふことを同 じうせよ。 新改訳 それはそれとして、私たちはすでに達しているところを基準として、進むべきべす。 Nevertheless, whereto we have already attained, let us walk by the same rule, let us mind the same thing. 17 永井訳 兄弟よ、我に同に倣ふ者となれ、且つ汝等が我等を型となしたるままに、その如く歩む人々を鑒(かんが)みよ。 新改訳 兄弟たち。私を見ならう者になってください。また、あなたがたと同じように私たちを手本として歩んでいる人たちに、目を留めてください。 Brethren, be followers together of me, and mark them which walk so as ye have us for an ensample. 18 永井訳 そは我が〔曩(さき)に〕屡々汝等に云ひ、今も泣きながら云ふところの、歩みつつある多くの者、彼等はキリストの十字架の敵〔なればなり〕。 新改訳 というのは、私はじばじばあなたがたに言って来たし、今も涙をもって言うのですが、多くの人々がキリストの敵として歩んでいるからです。 (For many walk, of whom I have told you often, and now tell you even weeping, that they are the enemies of the cross of Christ: 19 永井訳 彼等の終は滅〔なり〕、彼等の神はその腹〔なり〕、且つその恥をもて栄光とす、彼等は地なる事を思ふ。 新改訳 彼らの最後は滅びです。彼らの神は彼らの欲望であり、彼らの栄光は彼ら自身の恥なのです。彼らの思いは地上のことだけです。 Whose end is destruction, whose God is their belly, and whose glory is in their shame, who mind earthly things.) 20 永井訳 しは我等の民籍は天にあり、我等はその処より〔来り給ふ〕救主、主イエスキリストを待ちつつあればなり。 新改訳 けれども、私たちの国籍は天にあります。そこから主イエス・キリストが救い主としておいでになるのを、私たちは待ち望んでいます。 For our conversation is in heaven; from whence also we look for the Saviour, the Lord Jesus Christ: 21 永井訳 彼はすべてのものを己に従はしむるその力の働に循ひて、我等の卑しき體を変へて、その栄光の體に象らしめ給はん。 新改訳 キリストは、万物をご自身に従わせることのできる御力によって、私たちの卑しいからだを、ご自身の栄光のからだと同じ姿に変えてくださるのです。 Who shall change our vile body, that it may be fashioned like unto his glorious body, according to the working whereby he is able even to subdue all things unto himself.