Romans 5 (JTRV)
From Textus Receptus
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Revision as of 01:46, 10 December 2011
5章
1
a 是の故に我等は信仰にて義とせられたれば、我等の主イエスキリストによりて神に対して平和あり。
b ですから、信仰によって義と認められた私たちは、私たちの主イエス・キリストによって、神との平和を持っておます。
2
a 我等彼によりて信仰にて、我等が立つところの此の恵に入ることを得たれば、神の栄光を望めて誇らん。
b またキリストによって、いま私たちのたっているこの恵みに信仰によって導き入れられた私たちは、神の栄光を望んで大いに喜んでいます。
3
a 唯それのみならず、尚ほ艱のうちにも誇るなり。〔そは〕艱は忍耐を醸(かも)し、
b そればからでなく、患難さえも喜んでいます。それは患難が忍耐を生み出し、
4
a また忍耐は経験を、また経験は希望を〔醸し〕、また希望は恥を来らせざることを知ればなり。
b 忍耐が練られた品性を生み出し、練られた品性が希望を生み出すと私っているからです。
5
a 是れ我等の与へ給ひしところの聖き霊によりて、神の愛我等が心に注がるるが故なり。
b この希望は失望に終わることがありません。なぜなら、私たちに与えられた聖霊によって、神の愛が私たちの心に注がれるているからです。
6
a そは我等尚ほ弱かりしとき、キリストは期に循ひて、不虔なる者のために死に給ひたればなり。
b 私たちがまだ弱かったとき、キリストは定められた時に、不敬虔な者のために死んでくださいました。
7
a そは義〔人〕のためには死ぬる者なしとせざればなり。そは善〔人〕のためには或は死ぬることを敢えてせんとする者もあるべければなり。
b 正しい人のためにでも死ぬ人はほとんどありません。情け深い人のためには、進んで死ぬ人があるいはいるでしょう。
8
a されど神は己自らの愛を我等に薦め給ふ、即ちキリストは我等の尚ほ罪人なりしとき、我等のために死に給へり。
b しかし私たちがまだ罪人であったとき、キリストが私たちのために死んでくださったことにより、神は私たちに対するご自身の愛を明らかにしておられます。
9
a 是の故に我等今その血にて義とさられたれば、尚ほ尚ほ彼によりて怒より救はるべし。
b ですから、今すでにキリストの血によって義と認められた私たちが、彼によって神の怒りから救われるのは、なおさらのことです。
10
a そは我等もし敵たりしとき、その子の死によりて神に和(やわら)がせられたらんには、尚ほ尚ほ和がせられたる〔後〕、その生(いのち)にて救はるべければなり。
b もし敵であった私たちが、御子の死によって神と和解させられたのなら、和解させられた私たちが、彼のいのちによって救いにあずかるのは、なおさらのことです。
11
a 唯それのみならず尚ほ我等は我等の主イエスキリストによりて神に在りて誇るところあり、彼によりて我等は今和(やわらぎ)を得たり。
b そればかりでなく、私たしのために今や和解を成り立たせてくださった私たちの主イエス・キリストによって、私たちは神を大いに喜んでいるのです。
12
a 此のゆゑに一人の人によりて罪は世に入り来たり、また罪によりて死の〔入り来りし〕如く、その如くすべての者罪を犯しし故に、死はすべての人にまで及べり。
b そういうわけで、ちょうどひとりの人によって罪が世界にはいり、罪によって死がはいり、こうして死が全人類に広がったのと同様に、―それというのも全人類が罪を犯したからです。
13
a しは掟より先に既に罪は世にありたればなり。されど掟あらずんば罪は勘へらるることなし。
b というには、律法が与えられるまでの時期にも罪は世にあったからです。しかし罪は、何かの律法がなければ、認められないものです。
14
a さればアダムよりモヲゼに至るまで、アダムの背(そむき)と等(ひと)しき罪を犯さざりし者にも死は王たりき、彼は将に来たらんとする者の型なり。
b ところが死は、アダムからモーセまでの間も、アダムの違反と同じよyには罪を犯さなかった人々をさえ支配しました。アダムは来るべき方のひな型です。
15
a されど此の恵の賜物は、かの曲事の如きにあらず、そはもしかの一人の曲事のために多くの者死にしならば、尚ほ尚ほ神の恵とこの一人の人イエスキリストの恵に於ける賜物とは、多くの者にまで溢れたればなり。
b ただし、恵みには違反のばあいと違う点があります。もしひとりの違反によって多くの人が死んだとすれば、それにもまして、神の恵みとひとりの人イエス・キリストによる賜物とは、多くの人々に満ちあふれるのです。
16
a 且つこの賜物は罪を犯したる一人によりて〔来たりしもの〕の如きにあらず、そはかの裁は一人よりして罪に定めらるるに至りたれど、この恵の賜物は多くの曲事よりして義とさらるるに至ればなり。
b また、賜物には、罪を犯したひとりによるばあいと違った点があります。さばきのばあいは、一つの違反のために罪が定められたのですが、恵みのばあいは、多くの違反が義と認められるからです。
17
a そはもしかの一〔人〕の曲事のために、死はかの一〔人〕によりて王たりしならば、尚ほ尚ほ多くの者は、恵と義の賜物とを豊かに受けつつ、この一人のイエスキリストによりて生にありて王たるべければなり。
b もしひとりの人の違反により、ひとりによって死が支配するようになったとすれば、なおさらのこと、恵みと義の賜物とを豊に受けている人々は、一人の人イエス・キリストにより、いのちにあった支配するのです。
18
a されば一人の曲事によりて、すばての人にまで罪な定めらるることの〔及びし〕如く、その如く一人の完(まっとう)せわれたる義によりて、生を義とせらるるに至ることもすべての人にまで及べり。
b こういうわけで、ちょうど一つの違反によってすべての人が罪に定められたのと同様に、一つの義の行為によってすべての人が義と認められて、いのちを与えられるのです。
19
a そはかの一人の人の不順によりて、多くの者の罪人に定められたる如く、その如くこの一人の順によりても、多くの者は義しき者と定めらるるべければなり。
b すなわち、ちょうどひとりの人の不従順によって多くの人が罪人とされたのと同様に、ひとりに従順によっては多くの人が義人とされるのです。
20
a されど掟の窃(せち=ひそか)に入り来たりしは、曲事を増さんためなり。されど罪の増すところに恵は溢れたり。
b 律法がはいって来たのは、違反が増し加わるためです。しかし、罪の増し加わるところには、恵みも満ちあふれました。
21
a 是れ罪の死に王たりし如く、その如く系も我等の主なるイエスキリストによりて、恒の生(とこしへのいのち)に至るまで義によりて王たらんためなり。
b それは、罪が死によって支配したように、恵みが、私たちの主イエス・キリストにより、義の賜物によって支配し、永遠のいのちを得させるためなのです。
a = 新契約聖書
b = 新改訳